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2学期から私の教室にやってきた子どもたちを教えていて、ふと、気がついたことがあります。
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それは「効率の良い方法」を習っていない、ということです。
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例えば電気について言えば、小学校では抵抗は習わない。しかし、豆電球の明るさにしても、電熱線の発熱にしても抵抗の概念は必要であり、オームという単位は使わなくとも、抵抗を扱えなければ、計算問題はなかなか納得できない。
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しかし、どうも「習っていない」らしい。
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いや、指導はあったとは思うのですが、どうもうやむやな感じがします。
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算数でもN進法を習わなかった、という子もいましたね。
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中学受験には、やはり受験テクニックというべき解法があります。当然、小学校の指導要領には乗っていない。しかし、指導要領の範囲で考えれば解ける。ただ、それでは面倒なので、こう考える、こうおく。
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食塩水の濃度をてこの原理で解いたり、速さをグラフに描いて、相似形で求めたり、まあ、そういった類のことは、結構あるわけですが、実は、それが十分に習っていない。なぜだろうか?と思って、思いついたことがあります。
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それは、問題をたくさん解きすぎているという点。
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つまり一つの問題について、解法を複数考えていく、「こうも解けるし、ああも解ける」といったような指導法ではなく、とにかく「答えが出ればいい」として、たくさんの問題を解くやり方。
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一概に批判するのは、問題があるが、しかし、解法は応用が利いて初めて価値があるわけだから、その点もう少し掘り下げて勉強した方がいい。
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授業は本来、演習形式の時期に入っているのですが、問題によっては、突然、演習を止めて、最初から教えなおすようにしています。
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「これ、知ってる? これ習った?」
と確認しながら、進んでいるわけですが、まあ、穴を早めに見つけられた良かったと思っています。