第33回 工業化に関する問題

■1894年日清戦争が起こりました。

日本が明治維新後はじめて外国と戦った戦争ですが、1895年の下関条約で講和がが成立しました。この下関条約で得た賠償金の一部で日本は八幡製鉄所を作りました。日本の産業史の中で、この八幡製鉄所は日本の重化学工業の一歩となったのです。

■工業の進み方としては、まず家内制手工業がスタートになります。その後工場制機械工業まで進んでくるのですが、工場制機械工業も軽工業から重化学工業にかわっていきます。ただ、重化学工業化するためには相当のお金が必要になります。したがって軽工業が進んで、この軽工業でもうかったお金で重工業かするというのが一般的な流れになります。 
 

■その意味では、日清戦争の賠償金で重化学工業化に進むことができたので、かなりスピードアップされていたことがわかります。そこで

■日本は軽工業化の段階でも資本が育つ前にスタートしています。これはどのようにして行われたのでしょうか?

■明治政府は、明治維新後、列強に互していくために軽工業化を急ぎました。ただ、国内に資本が育たなかったので、政府自ら軽工業化を行ったのです。それが富岡製糸場です。1872年富岡製糸場が完成し操業が開始されました。やがてこの工場は民間に払い下げられ、日本の軽工業が展開されることになるのです。

(平成18年4月28日)

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