今の塾の学習マネージメントというのは、各教科の先生が完全に分かれています。だから算数の先生は算数のことを指導し、国語の先生は国語を指導する。その結果として、全体を見るという視点が薄らいでいきます。だから子どもたちとしては、全部をやらないといけない、という感覚になってしまう。
じゃあ、どれか少し後回しにして、というと組み分けテストがひっかかる。算数だけできても上のクラスにはいけない。だから、他の教科もやらないといけない。つまり全員がすべての教科を万遍なく勉強するというスタイルが一貫しているわけです。
これが実は子どもたちの可能性を今一つ伸ばし切っていない原因とも言えます。
子どもは最初からそう器用ではない。何事もうまくやれる、という子は一部に過ぎないから、当然、いろいろ穴が開いている。穴が開いていれば、当然それをふさぐことに力が入るから、本当に「できる」という教科は生まれない。したがって子どもたちは何となく不安、という感じに陥りやすいと思うのです。
小学校の先生というのは、一部の教科をのぞいて担任がすべて教えています。この方式は専門性という点ではやや劣るかもしれないが、しかし、受け手である子どもたちの立場を考えた場合、突破口を見つけやすい。まあ、国語はちょっとおいておいて、まず算数がんばろうか、みたいなことができるわけだから、実は小学生にはこの方式がいいはずなのです。
でも、そうなると塾の先生の負担が大きくなり、そういう先生をたくさん育てるのは大変だから、やはり1教科にしぼることになりやすい。その結果として、子どもたちに負担が行くという面は否定できません。
社会を見渡してみると、こういうやり方で伸びている、ということではないように思えるのです。つまり、どこか自分が拠り所とする力があって、それでグーンと力がついて、後もついてくる、というような感じが多い。だから、子どもたちにも本当はそういうやり方をしてあげたい。
ところが塾はそれに対応していない。だとすると、家庭で対応するしかない、ということになります。
本当はある程度力がついてから、試験は受けた方が良い、と思うのです。まだ充分力がついていないときに、やれ偏差値がいくつだ、順位が何番だ、ということになると、ほめられない。むしろけなされている。けなされている子に自信がつくわけはないのです。
その点では今の塾の学習マネージメントから、やや距離を置くというやり方も悪いやり方ではない、と思います。
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