第25回 努力の質(1)

5年生は今、分数、少数、割合、円・おうぎ形と結構大変な範囲に入っています。

一生懸命勉強する、時間をかけている、しかし、現実によくわかっていないということがあるのではないかと思います。

子どもたちはいったいどこまで、自分が努力をしていけばいいのか、イメージとしてつかめていないのが原因です。
例えばできなかった問題について、

(1)できなくても仕方がない
(2)解法はわかったから大丈夫。
(3)もう一度やったときに、できないといけない。

という考え方があるでしょう。多くの子どもたちは(1)か(2)なのです。この感覚では時間をかけても、なかなかできるようにならないでしょう。当然、(3)のレベルでないと、できるようにはならないのです。

この感覚をもってやる勉強とそうでない勉強では、同じ時間でもまったく努力の質が変わってくるでしょう。で、小学生の指導で一番問題なのは、この情況をわからせることなのです。

厳しく指導して、例えば口うるさく言ったとして、本人が
「そう思わない」
という状態であれば、まったく情況は変わりません。強制されて、涙を流しながら勉強しても、本人がそう思っていないと事態は進まないのです。たぶんそういうとき、子どもは
「僕はかわいそうだ」
としか思っていない。だから、変わるはずがないのです。

子どもには変わらないとまずいと思わせないといけないのです。だからどうしても入りたい志望校が必要なのです。

不合格でも仕方がないと思う学校では、本人は変わらないのです。どうしても入りたい、そのためにできるようになりたい、そういう欲望が出ないと努力の質は(3)のレベルまで上がらないでしょう。

私が「やらされる受験勉強では力がつかない」といっているのは、そのためです。

そしてここが重要ですが、このレベルまで努力をする限り、「頭がいい」「頭が悪い」の話はなくなるのです。

時間がかかろうと、とにかく結果が出ればいいのです。中学受験とは結局、能力の問題ではない、むしろ努力の質の問題でしかない。中学入試は入試当日の成績で決まるわけですから、そこに向けて本当に質の高い努力を継続的に自分でできるか、ということが鍵になるのです。

しかし、その質が具体的にイメージとして湧いていないのは、子どもばかりではないでしょう。指導している塾の教材にも問題があると思っています。

大量の宿題が出ている場合、子どもたちはただ終わることが「努力だ」と思ってしまう傾向があるのです。あるいは早く終わることが「勉強」だと勘違いすることになる。だからできるようにならない。

成績が振るわなかったら、まず量をこなすという発想をやめることです。
同じ問題を、もう一度解きなおす、これはある意味、退屈かもしれません。でも本当にできるようになったか、自分で確かめたい欲望を持っている子どもは、むしろ嬉々としてこの勉強に取り組むものなのです。

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