第75回 読めていない

    先日、国語の先生と話をしていて、
    「まだ、読めていないと思える子が多い」
    という話になりました。
    当然のことながら、国語の文章ということなのですが、実際に入学試験では問題が文章で与えられる、つまり文章が読めていないということは、他の教科も問題が読めていないということが多々あるのではないか、と思うのです。
    読めていない という現象にはどういう原因があるのでしょうか。
    (1)ボキャブラリーが不足している
    単語がわからない、これはよくあることでしょう。例えば「敷地の面積」といわれて、これがわからない。「土地の面積」ならわかる。という問題。まあ、これはやはり読む経験を増やすことなのでしょうが、しかし、読む経験を増やしたとしても、わからない単語がそのままになっていては改善しない。だから、大人がどんどん意味を教えていく、これはひとつのやり方でしょう。
    (2)状況が想定できない
    物語文、説明文、表すところは、いろいろな状況です。その状況が想定できない。これは生きてきた経験が少ないというのももちろんあります。だから、その状況における心理状況を推し量れない。
    「なぜ、悲しいのか?」
    と思う子が少なくありません。「悲しい」を説明することはかなり難しい。これがさらに恋心的な部分になると、もう、いけません。特に男の子。女の子の方がそういうのはピンときます。男の子は???であることが多い。
    ということは原因の大半は「経験不足」にあるといっていい。しかも、中学受験の国語の問題は「小学生を前提に書かれていない」のです。だからその経験をどう足していくか、ということが「読める」条件になるわけです。
    私は、これは会話から足していくしかないと思っています。元来、子どもたちの言語体系は耳から始まります。そして文章が読めるようになれば、目からもインプットされる。しかし、これは子どもの精神的成長に左右される。だから文章からのインプットだけにたよってはいけない。
    国語の先生はよく、
    「どういう話だった?」
    と子どもたちに問いかけます。インプットしたものをもう一度再現させるわけですが、これは授業だけでなく、家庭学習でも大事な点。
    過去問をやるときでも、文章題をやるときでも、
    「どういう話か?どういう問題か?」
    というのを、会話の中で整理してみる、というのは大事なことです。ただ、できれば5年生ぐらいからしっかりやりたい。そうすることによって、文章中の言葉を会話でも使うことになり、子どもたちのボキャブラリーも増えていくのです。
    ご家庭でも文章を使いながら、会話を増やしていく努力をしてほしいと思います。
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