違和感のある説明

    これは又聞きなのですが、ある塾の説明会でこういう話があった。
    「今まで、組み分けテストをやってきて、だいたいお子さんたちの成績というのは、見えてきている。この校舎で言えば上から○番目までが、御三家、○番目までが早慶に入れるクラスということで、志望校はそのあたりを考えて、絞り込んでいただきたい。」
    上から○番目がはっきりしているから、わかりやすい。非常に明確な論理です。しかも1回や2回の試験で決まっているのではなく、ずーっと組み分けを続けてきて、収斂しているわけだから、まさに実力がはっきりしているでしょう。
    でも、私はこの話を聞いたとき、違和感を感じました。
    じゃあ、例えば合不合の通り、受験校を決めてね、というのとあまり差がない。
    組み分けは何回もやった、といわれるが、しかしそれは「その塾の組み分けテスト」であって、学校の独自入試ではない。受ける学校の傾向と合っているのか?
    まず不満はそこにありますね。
    ただ、根本的には、塾というのは「入れようとする」場所でないといけないと思うのです。
    これは「入れよう」とはしていない。「受かる子だけを入れようとしている」に過ぎないと思うのです。
    もちろんデータは正しい部分もたくさんあります。でも、そのことだけで、子どもの可能性や挑戦する意思を奪っていいのか、というと、やはり私は違和感がある。数字に表れたものだけから、判断する、というのは、賢明ではないと思うのです。
    失敗して良いこともたくさんあるのです。失敗するから成長するということもある。むしろ、挑戦するという気概を小さいころからなくすようなやり方は、あまり好きではない、と思っています。
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