塾のサービス過剰に注意

最近は、「塾はサービス業だ」と思っている方が多いかもしれないと思います。

サービスをする側の感覚としては、これで良いと思っているし、サービスを受ける側(というか、お金を払っている側)もこれで良いように思うのですが、問題は

「いくらサービスが良くても、子どもができるようにはならない」

という点です。

例えばマッサージは、そのサービスを受けることによって、確実に気分が良くなったり、体が楽になったりするのでしょうが、塾は違います。

でも、そういう感覚になりやすいのではないかな、と思うのです。

良い先生について、たくさんの合格者が出ている教室であれば、

「ウチの子も合格するんじゃないか。」

確かに、その可能性は多少高くなるかもしれないが、しかし子どもが勉強しなければ、やはり合格しません。

この当然、と思えることが、だんだん勘違いされてきているのではないか、と思うのです。

塾にたくさん通っていれば、勉強するだろうから、できるようになるか? なる子もいれば、ならない子もいます。

その違いは、子どもが「自分で勉強しているか」にかかっている。子ども自身が「入りたい」とか「できるようになりたい」と本当に自分で思って、実際に勉強するかどうかにかかっている。

それを引き出すのもひとつの塾のサービスではないか、と思われるかもしれないし、それが使命だと思っている先生も多いと思うのですが、でもそれはサービスから生まれるものではないと私は思います。

では、何から生まれるか? 家庭の教育から生まれるものです。

教育は、その子がこれから生きていく力を培うものです。この子にどんな力をつけていくか、どんな経験を積んでいけばいいか、そういうことを考えながら、親は子どもを教育します。自転車に乗れるようになるのも、泳げるようになるのも、もとは親の考え方からスタートする部分があるでしょう。

小さいときから、親は子どもをどう育てようか、と考えているわけですから、中学を受験する、ということも当然、その考えの延長線にあって、こういう子に育ってほしいから、こういう学校に行ってほしい、ということになり、そのことが子どもにとって夢になれば、当然、本人もがんばって勉強することになる。

子どもが自分でどういう学校に行きたいか、どういう道を進みたいかを本当に考えられるようになるのは、高校受験からです。

中学受験の段階では本人にまだそこまで考える力がない。「中学受験したい」と言い出す子はいると思うのですが、それは友だちのだれかが受験する、とか、お兄ちゃん、お姉ちゃん、あるいは年上の親戚の子どもたちに影響を受けているだけであって、本人がこういう道を歩き出したいから受験をする、というのとは多少違うでしょう。

だから親が決断をするわけですから、もとは家庭教育にあるわけです。

ところがいったん塾に通いだすと、塾がいろいろとサービスを用意してくれる。塾にお任せすれば、当然、サービスが増えるわけで、子どもはいろいろなサービスを受ける分、自分でやらなくなってくる。最初は「自分でやろう」と思っていても、つい「やらされてしまう。」

やらされてしまうことは、自分で「やろう」としたこととは微妙なずれがでてくるので、つらくなってくれば「僕がやろうとしたことじゃないし」みたいな感覚が芽生えてくる。

塾に通っているものの、勉強はしていない子どもたちはこういう過程で生まれてくるように思います。

中学受験は家庭教育の一環です。だから親の考え方で決まります。

単に塾に通わせれば、たくさんのサービスを消費することになるが、子どもが自分でやることにつながっていない場合があるとすれば、それは親が判断しないといけない。

これから夏休み、2学期と進み、特に6年生は塾のサービスがどんどん過剰になる時期です。

本当に子どものためになるのは何か、をじっくり考えてあげてください。まだ、子どもたちはそれが判断できる段階ではありませんから。

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