第6回 老教諭との囲炉裏端 

■40年を越える学校生活に今春終止符を打たれる老教諭から電話があり、二人で囲炉裏を囲むことになりました。先生は、長く募集活動をおやりになっていたので私もお付き合いが長くなりましたが、昔話に花が咲きました。

■「私学には、それぞれ建学の精神があり、そこから私学の教育が始まると思います。大学受験がどうのこうの、いう前にそれを伝えられなければ募集広報にはならない。」
私学は寄付活動から始まります。設立に際して寄付団体が寄付行為を行うことによって私学が生まれます。ですから、寄付を行うにあたってどういう学校をつくりたいのか、どんな教育をしたいのかがはっきり謳われているのです。もちろん時代がかわりますから、伝え方は考えないといけない。でも大学受験の実績の前にまず語らなければいけないことが、私学にはあるはずです。

■「塾の塾長が、学校の理事になりたがる人がいる。これはやはり線をわけておかないといけない。塾は塾で誇りを持つきだし、それは学校とは違う機能だと思わないといけない。」
塾は学校に生徒を送っているという気になってはいけないのです。送ってあげているという気になると、何かを間違えます。塾はビジネスですが、学校はビジネスではありません。学校は奉仕する部分があって成り立っているのですから、前提から違うのです。

■「校長が学校の偏差値を気にしないわけにはいかない。しかし、自分の学校が低いからといって、妙なコンプレックスを持つ必要もない。」
生徒が集まらない時期もあります。偏差値が低いから集まらないということも当然あるでしょう。だからといって、偏差値をあげることばかりに気がいっては、本来の本校の使命を忘れてしまいます。

■「宗教教育というのを、私学はことさら避けてきた感があるけれど、本当にそれで建学の精神を伝えられるのかという疑問がある。」
寄付団体が宗教団体である学校は多いのですが、その学校が宗教を前面に説明をするということはありません。宗教教育が行われている学校もありますが、あまり詳しく語られてはいないと思います。日本人は学校と宗教を戦後、切り分けてきた感がありますが、すべてを否定する必要はないのかもしれません。それよりも、現実に行われていることをすべて保護者や子どもたちに披瀝することの方が大事なのではないでしょうか。

■「行政と私学はけんかをします。ただ相手の方が強いから、負けることがあるわけですが、負け方も考えんといかん。今回は相手が悪い、でも負けたんだというのが伝わるように負けるんです。そのくらいの気持ちを持ってないと私学は守れません。」
指導要領を守る私学はあまりいません。当然、文部科学省などからは指導が入ります。しかし、だからいってすべて言われる通りにしていたのでは、当然私学の良さがなくなってしまうのです。こういう気概がある先生がおられるから、私学は、私学でありえるのです。

(平成16年2月22日)

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