最近ふと思うことがあるのですが、カリキュラムは誰のために作られているのでしょうか?
当然、子供たちのためです。しかしながら、いろいろな学校のことを考えて、テンコモリになっている現在のカリキュラム。一人一人の子供たちのニーズに照らしてみると、あれもいらない、これもいらないという話になってしまうのです。
現在、春期講習の教材を作っているのですが、詩はいったいどのくらい必要なのだろうかという話になりました。最近詩を出題する学校はめっきり減りました。ためしに2006年度の入試で見てみると60数校のうち2校だけ。最近の国語の入試問題でいえば、物語文、説明文、漢字という学校が圧倒的に多いのです。
また、学校によっては物語文しか出さないという学校もあります。では、そのためにあれだけの国文法やことわざや慣用句その他をやる必要があるのだろうか?という気になってくるのです。むしろ必要なのは、文章をしっかり読み取って表現する力。何が書いてあるのかを理解し、問いを考え、自分の考えを表明するという練習をするべきでしょう。
そういう優先順位を考えていくと、本来は子供たちひとりひとりに実はカリキュラムが必要だということになるのです。もちろん基本となるべきことを、学ぶことが当然必要です。ただそこから枝葉をつけていく、応用力をつけていくときに、どこを目標にしているのかということが重要になってきます。逆に目標が決まってくれば、今学習しているカリキュラムについても何に重点を置くべきかが自然決まってくるはずなのです。
しかし、そういうことにあまり注意を払わず、塾の決めたカリキュラムにしたがって進んでいる子が圧倒的に多いでしょう。その結果として、わからないことが多くなってしまったら。やはり親が立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか?
中学受験が難しくなってきた今、今まで通りのやり方でやったとしても僅差の勝負はなかなか制すことができないと思うのです。どんな試験ができればいいのか、まずは目標を定めて、その入試問題を一度ごらんになってみてはいかがでしょうか。「これはいらないなあ」という範囲が意外に多いことに気づかれるのではないかと思います。