この夏、私がいろいろな人と話したり、議論した中で印象に残っている部分をお話してみたいと思います。
あるマーケティング関係の人との話
「例えばA中学の合格者について、当然そこが第一志望であった子と、滑り止めで入ったという子がいるわけですね。」とその人。
「はい」と私。
「で、塾の実績でみればそれは等しく書かれている。A中学合格者として。ただ本当にがんばって合格したという子にしてみれば、何か物足りないという感じはないのでしょうか?」
「物足りない?」
「そう、いや不満じゃないかもしれないけど。何か、あいつの滑り止めといっしょかみたいな?」
「みたいな?」
「ええ、もっと何か褒め称えられたいというか。」
「例えばA中学(第一志望合格)A中学(滑り止め合格)とでも書く?っていう話ですか?」
「いや、そういう話でもないかもしれないけど。先生は子どもの第一志望に入れたいとよく話されていますよね。」
「はい。」
「でも例えばA中学合格はその子にとっては第一志望かもしれないし、滑り止めかもしれない。でも第一志望で合格できれば先生の塾としては大きな実績なわけですよね。」
「それはそうです。」
「で、それを伝えるという方法が」
「ああ、わかりました。でもね、そんなのは一時の感情論でしかないんですよ。」
「はあ?」
「親にとって一番うれしいのはね、その子が生き生きと自分の学校で活躍してくれることなんです。」
「それはそうですけど。」
「第一志望で入ろうと、滑り止めで入ろうと、通学し始めたらいっしょです。」
「え、そうですか?」
「そうです。で、問題はその後。それはね、この学校で楽しいなあと思った時に初めて、ここに合格してよかったかって思うんです。思えばそれは同じじゃないですか。滑り止めでも第一志望でも。そこで自分の学校に誇りを持つというか。そういう気持ちになってくれることが大事であって、試験の時の感情論だけで話をすることではないんです。」
「・・・」
「たとえ上位の学校に入れたとしても、それで落ちこぼれたり、それこそいろいろ問題が起これば、受からなければ良かったのになんて思うかもしれない。」
「それはそうかもしれませんね。」
「だから合格はスタートに過ぎないわけですから、第一志望で入ろうが、滑り止めで入ろうが、そこからさあ、どうするの?っていうことだと思うんです。だから別に塾の実績に何か説明を加える話でもない。かえって滑り止めで合格って書かれた方が暗いかもしれないし。」
「なるほどねえ。」
「いいんですよ。淡々と。今年はこういう学校に入りましたで。だからみんな、そうしてるじゃないですか。それ以上に何か語ることはないんです。むしろ子どもたちがこれからどうするか、期待する方が良くはないですか?」