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中学では入れたい学校だけ、受けてダメなら公立でいい、という選択肢があります。
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その考えは悪いものではない。まだ将来ある子なのだから、6年間不満な学校に行くより、3年後にもう一度、ということは当然あるでしょう。
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ただ、それでも本人は本気で狙っている、本気で「入ろう」と思っていなければ、受験は本人にとって何の役にも立ちません。
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むしろ害が多い。
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「どうせ、無理だし」
「あんな問題できないしなあ。」
「それよりは、遊びたいよなあ」
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という気持ちで、努力なんかしてない、相変わらず親が言わないと勉強しない、ということであるならば、
「とっとと受験はやめてしまう」
のがいいでしょう。
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受験勉強というのは、試験に合格するためにやることなのです。その目的を最初から「無理だ」と本人が決めつけている、あるいは自信がないということならば、まともに努力することがばからしくなる。つまりごまかしだけができるようになるだけなので、受験勉強はまったく子どもにとって意味がない。親の目をあざむくことだけができるようになるだけです。
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受けたい学校だけを受ける、というのは当然、「合格することは可能だ」という前提があるからです。
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10%でも5%でも、可能性がある以上、僕は絶対に受ける、ということならば、それはそれでいいでしょう。もちろん、十分に可能性がある。逆転をした子は、たくさんいます。
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しかし、本人にその気持ちはなく、ただ親が手をひっぱっているだけなら、あとで「親がうらまれる」だけだから、やめてしまいなさい。
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最後の1ヶ月、本当に何とかしたい、という気持ちで勉強するかどうか、ここが受験勉強の意義と言っていい。
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それがあったなら、合格しようと、残念であろうと、中学受験は子どもにとってやってよかったということになる。
そうでなければ、害が続くだけです。
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「一番いいのは、がんばって落ちること、次ががんばって合格すること。3番はがんばらなくて、落ちること。最悪はがんばらずに合格すること。」
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これは私が最初の本で書いたことですが、とにもかくにも、がんばったという経験をすることは、子どもの成長にとって大事なことだと私は思います。